留学研修制度の特徴
当講座では学位修了者に対して、本人の希望により国内外へ留学が可能です。最近の留学実績はPittsburgh大学(米国)、Emory大学(米国)、Johnʼs-Hopkins大学(米国)、Heinoraリウマチセンター(フィンランド)、Mayo-Clinic(米国)等で、臨床・研究とも日本国内では得られない幅広い知識・技術を習得することができます。またより現実的な選択肢として国内留学の機会も積極的にサポートしていく予定です。
入局案内
当講座では学位修了者に対して、本人の希望により国内外へ留学が可能です。最近の留学実績はPittsburgh大学(米国)、Emory大学(米国)、Johnʼs-Hopkins大学(米国)、Heinoraリウマチセンター(フィンランド)、Mayo-Clinic(米国)等で、臨床・研究とも日本国内では得られない幅広い知識・技術を習得することができます。またより現実的な選択肢として国内留学の機会も積極的にサポートしていく予定です。
岩手医科大学医学部
整形外科学講座 助教
2024年2月1日から16日まで佐賀大学整形外科研修を行って来ましたので報告いたします。
今回の研修では寛骨臼骨切術の見学が一番の目的でした。近年THAの成績は向上しており、若年者に対しても行われる機会が増えております。大学においても時に20代や30代にTHAを余儀なくされることもあります。しかし、若年で初回THAを行い、その後ゆるみや感染、脱臼などで多数回の手術を行う症例もあり、また関節の再建を諦めざるを得ない症例もある事も事実であります。寛骨臼回転骨切術は我が国で開発された発育性股関節形成不全症の前期〜初期を対象とした手術であり、2018年に大学勤務となって以来、当科では1件/年程度のペースで行われていましたが、症例数が少ないと技術の向上が期待できず、積極的に手術を勧められなくなるなど悪循環に陥りやすいと懸念していたため、骨切術の聖地と言える九州地方の大学での研修を頂き大変光栄でした。
馬渡教授が3月で退官される事もあり、手術数は減少傾向ではありましたが、研修期間内に2件の骨切術を予定して頂き、その術前計画から手術のコンセプト、そして後療法も含め大変勉強になりました。また教授の外来では術後の長期経過例も見せて頂き、(30年経過しOAの進行認めない症例など)適応を守って正しい手術をするとTHAに至らない症例も多数あり、素晴らしい手術であることが再確認できました。
佐賀県は政令指定都市の福岡と観光地として人気の長崎県に挟まれて、地味な印象があるかと思います。しかし、福岡駅から特急だと40分程度で着き、佐賀牛や呼子のイカなど美味しい物があり、また九州有数の米所で日本酒も美味しく、温暖な気候で何より岩手県のようなのんびりした雰囲気で人が良く、とてもいい所でした。滞在中は有田・伊万里の陶磁器記念館や、唐津城を訪れたり、また今シーズンB1に昇格した佐賀バルーナーズのホーム戦を観戦したりと週末も楽しませて頂きました。日本一のサウナもまた素晴らしかったです。研修のチャンスを頂きました土井田教授並びに不在中にご迷惑をかけた医局の先生方に感謝申し上げます。岩手の医療に還元できるように今後も精進いたします。
岩手医科大学医学部
整形外科学講座 助教
2023年4月〜2024年3月まで手外科・マイクロサージェリークリニカルフェローとして静岡県の聖隷浜松病院で研修する機会をいただきました。大変貴重な経験を積むことが出来ましたので報告させていただきます。
聖隷浜松病院は日本手外科学会認定の手外科専門医の基幹研修施設で日本手外科学会認定の“手外科専門医研修カリキュラム”に則った研修ができます。日本の近代手の外科の先駆者である故田島達也新潟大学名誉教授の門下である齋藤英彦先生が着任されていて手外科の深い歴史があります。そのため手外科班の佐藤光太朗先生、村上賢也先生の留学された新潟手の外科研究所と同じ田島先生から継承された手外科を学ぶことができます。実際に手外科診療ハンドブック(南江堂)に準じた手外科の治療を学ぶことができました。最初はスクラビングやドレープのかけ方、ドレッシングの仕方を教わり、5月からは主治医として救急で対応した患者様の手術、術後経過を見させていただきました。術前後の症例は全例、作図や絵を書いて計画を立ててpower pointで提示し、ご指導いただきました。手術件数 474例(執刀件数111例 第1助手133例 *2023年4月〜2月末*)でした。
金曜日の外来以外はほとんど手術に入らせていただきました。主に救急で受診となった外傷疾患を中心にみさせていただきました。方形回内筋を完全に修復する橈骨遠位端骨折、hook plateを使用した骨性マレットやPIP関節内骨折、肘の粉砕骨折などの重症外傷を経験させていただきました。全例教科書に載せられるような綺麗な整復位、plateの設置位置を目指す姿勢に感銘を受けました。
日常的にマイクロサージェリーをされていて、多く経験を積むことができました。医局には練習用の顕微鏡があって空き時間に血管吻合の練習ができました。2023年12月11日〜15日は新潟手の外科研究所でマイクロサージェリー手術技術研修に行かせていただきました。研究室にこもって朝から晩までラット4体を使用し顕微鏡下に頚動脈、大腿動脈、尻尾の動脈の血管吻合をしました。最後の方では聖隷浜松病院で指切断の再接着も経験ができ感無量でした。まだまだ手外科を学んで日が浅いですが、このような貴重な経験をもとに手外科医として岩手に貢献していきたいと思います。
最後に、このような貴重な機会を与えて頂いた土井田教授、佐藤光太朗先生をはじめ医局の先生方に深く感謝を申し上げます。
岩手医科大学医学部
整形外科学講座 助教
2022年6月から2024年3月にかけて、米国ジョージア州アトランタに位置するEmory大学で研究留学を行いました。Emory大学の整形外科は、1995年にScott Boden教授が骨形成タンパク質(BMP)を用いた世界初の腰椎固定モデルを開発したことで知られ、長年にわたり世界各国から研究者を集めています。また私の留学中の直属のボスのHicham Drissi先生は現在のORS (Orthopaedic Research Society) のvice presidentであり、整形外科分野の基礎研究で大きな影響力を持っています。臨床においては、特に頚椎分野で有名なJohn Heller先生、John Rhee先生、腰椎分野で活躍されているTim Yoon先生が在籍しており、脊椎外科のfellowshipは毎年全米で1,2位を争う人気を誇ります。当講座からは、村上秀樹先生を皮切りに、その後山部大輔先生が留学しています。今回、私は山部先生の帰国後から程なくして留学することができたおかげで、渡米前の準備や渡米後の生活のセットアップは非常にスムーズに進めることが出来ました。
渡米後、Emory大学での事務手続きが難航しましたが、その間PCRの使い方や評価方法、細胞培養、組織の染色や計測の仕方等、基本的手技を教わりました。大学生の時、実習でこれらをやったものの殆ど記憶の彼方で、さらに説明してくれた同僚達が話すスピードは速く、Spanish accentやIndian accentはまるで別の言語のようで当初は何を言っているか聞き取れず当初は絶望的な気分になりました。しかし、日本から留学していた脊椎外科の先生方が助けてくれ、徐々に慣れていくことが出来ました。
事務的な作業がようやく終わり、いよいよ実験を本格的に出来るようになるまで3ヶ月程要しました。もし1年のみの研究期間ならかなり焦っていたと思います。椎間板と骨折治癒に関する研究がありましたが、主に骨折治癒に関する研究を任せていただきました。転写因子Runx3に焦点を当て、そのノックアウトマウスを用いて骨折治癒の促進効果をコントロール群と比較して評価しました。骨折治癒を研究するグループはDrissi先生の他に5人おり、そのうち2人はマウスの飼育や交配、研究のサポートをするテクニシャンで、それ以外の3人の研究者と協力して各々担当する実験を行いました。Drissi先生執刀で、マウスの左大腿骨に全身麻酔下にK-wireを経皮的に逆行性に入れ、ギロチンのようなデバイスで大腿骨骨幹部骨折モデルを作成しました。私はその後、術後7日、14日、21日後にマウスを安楽死させて左大腿骨を採取、脱灰後に染色した骨折仮骨を組織学的に検討しました。コントロールと比較してRunx3ノックアウトマウスでは、7日時点で仮骨中の軟骨比率の減少と21日時点における骨比率の上昇がみられました。さらに他のメンバーが行ったメカニカルテストやマイクロCTの結果でも、Runx3ノックアウトマウスの骨強度上昇、骨体積率の上昇がそれぞれ確認され、骨折治癒促進効果が示唆されました。
毎週水曜日は、各研究者が、各々の研究の進捗状況や、論文に使用するFigureなどについて議論するmeetingがありました。学位研究の内容とも全く異なる、それまで殆ど触れてこなかった領域の基礎研究データを集め、PowerPointにまとめてそれを毎回英語で発表するのは、負担に感じることが多々ありました。しかし徐々に研究内容を理解し、グラフの説明や解釈をする表現を何度も使うことである程度プレゼンに慣れることが出来ました。Drissi先生を中心に質問とフィードバックがあり、それを受けて次の水曜日に向けてまた1週間データを集めるという毎日でした。
それ以外では、毎週火曜日の朝には若手の研究者によるセミナーがありました。中には学位取得前の学生などもいましたが、非常に説得力のあるプレゼンをしていました。これは、日米の教育システムの違いも影響しているかもしれません。彼らは学生のときからプレゼンをする機会が多く、また実習中の大学生も日本の大学生に比べて総じて真面目な印象を受け、積極的に質問していました。教える側も、対等な立場で学生と対話しながら説明しており、大学で働く人間として考えさせられました。また、アメリカでは内科医と外科医の収入の差が大きく、さらに整形外科医の年収の中央値は54万ドル(今の為替だと8000万円以上)と日本では考えられないほど高く、それゆえ整形外科医になるのは難関中の難関のようです。USMLEという米国版医師国家試験の結果以外にも、大学の成績や学術面も評価されるため、夏休みなどの長期休暇中に研究室で経験を積みにくる整形外科志望の医学生が何人もいました。
その他にも、他大学から整形外科の基礎研究で有名な方を講師に招いてレクチャーを受け、その講師と若手研究者のみでランチを食べながら研究に関するスモールミーティングをする機会も何度かあり、非常に学びが大きかったです。
写真2 Spine Surgeon達とのFarewell Dinner
写真3 ラボのメンバーとのFarewell Lunch
Emory大学で仕事をしていて、日本との資金力の差も実感しました。獲得できる研究費は莫大で、様々な最新の機械が搭載されており、それを用いてさらに研究、良いデータを得て論文を作成し、それを元に次の研究費の獲得を目指すという循環がありました。また、Microsoft 365やZoomのビジネスプラン、SPSS、Endnoteなど、研究や仕事で使う有用な多くのサブスクリプションサービスはEmory大学の全職員と学生が使える状態となっていました。もちろん、良いリサーチクエスチョンを思いつき、それを解決する実行力が必要ですが、資金面では非常に恵まれている環境であると思いました。一方で、基本的に一度就職したら半永久的に正職員として働ける日本の職場と異なり、アメリカの研究者達はボスが獲得した研究費から給与が支払われている事が多く、良いデータが出ないと容赦なくクビになったり、研究室そのものが存続出来ず閉鎖することもあるようです。研究成果が重要視され、良いデータや論文等の実力があれば自分で研究費を獲得して研究室を立ち上げたり、より良いポジションを得るために他大学や研究所に異動したりと、循環の速さを感じました。私が在籍した期間でも、研究室を去っていく人が何人もおり、中にはクビになる直前に研究費を獲得してassistant professorに昇進するという逆転劇を演じた人もいました。
基礎研究がメインでしたが、臨床的な学びも多くありました。月に1,2回、脊椎手術に関するミーティングに参加出来ました。ここでは過去の難症例を上級医が提示し、脊椎フェロー達が中心に画像所見を述べ、術式について意見していました。画像所見の指摘は的確で、術式を選ぶ理由も理路整然としていました。また、低頻度頻度な胸椎発生の脊索腫を画像所見のみで言い当てるなど、非常に良く勉強していると感じました。私にも質問が来ることがあり、術式について意見しました。英語力不足で当たり障りのない答えしか言えなかったので、議論できるレベルを今後目指したいと思います。
今まで学会等で数回アメリカを含め数カ国に訪れていましたが、数日間のみその国に滞在するのと、長期間その国で仕事をしながら、異文化の中で生活するのは全く得られるものは違うと確信しました。アメリカでは、日本のように空気を読むという文化が基本的に無いので、自己主張しなければ不利な状況に陥ってしまうことが多々あり、下手な英語でもいいのでしっかり自分の意見を明確に伝えなくてはなりません。これも当初はストレスでしたが、円滑なコミュニケーションには率直に伝えた方がよいとわかり、気が楽になりました。
また、日本は日本で生まれ育った純日本人が殆ど100%の人口を構成されていますが、アメリカは人種のサラダボウルと言われるほどで、研究室にも様々な国籍の人がいました。あるインド出身の研究者は、宗教的理由で休みを取っており、異国間のチームで働く職場ではそのような配慮の必要性も感じました。Drissi先生は、「My religion is science.」と言っていましたが、スタッフの事情には最大限配慮しているようでした。その他にも、とてもフレンドリーなイタリア人、ちょっとlazyだけど面倒見の良いメキシコ人(メキシコでは私はseriousよ、と言っていましたが)、自分はアカデミアには興味がなくて帰国したら会社を立ち上げたいと渡米後僅か数ヶ月後にボスに伝える強靭なハートを持ったポスドクのインド人など、様々なスタッフと仕事を共にしたので、日本では標準偏差のずっと外にいるような愉快な人とも上手く働ける能力を身につけられたのではないかと自負しています。他の国からの視点で日本や国民性について考える機会にもなったため、仕事以外の部分でも自分にとってプラスになったと思います。
近年のアメリカ国内のインフレに加えて、1ドル150円を越す急激な円安もあり、生活費は日本にいたときの約3倍かかり、常にお金の事を気にするストレスはありました。しかし金銭面以外は、公私ともに総じて非常に充実した日々でした。現在の日本人留学生は他国に比べると少ないと実感しました。留学中に出会った韓国人は、「韓国でトップレベルの研究をできる研究室は少なくて、アメリカに来ざるを得ない。日本は留学しなくてもノーベル賞を取れる程の研究室がいくつもある。」と言っていました。また、テレビ電話やSNSで容易に海外にアクセスできるようになり、留学の意義を問う人もいます。一度日本の外に出て世界のトップクラスの研究者と働いたり、その国で生活を経験するのは何事にも代えがたいです。今後も岩手医大整形外科から多くの若い先生方が留学に行くことを望みます。お金は帰って頑張って働けばきっとなんとかなります。また留学して研究の道が自分に合わないと思っても、日本に帰って整形外科医として働いて医療に貢献できるので、露頭に迷うことも決してありません。もし留学を考えるなら是非チャレンジをしましょう。そのためのサポートも出来る限りしたいと思います。
岩手医科大学医学部
整形外科学講座 助教
私は2022年4月から大学へ戻り、内丸にて木曜は膝・スポーツ外来、金曜は足外来を担当しております。当県において足外科はこれまで専門医不在が続いておりましたが2014年に当講座の菅原敦先生が同じく奈良医大に国内留学されてから専門的治療が行われるようになりました。足外科の勉強を始めて間もないところですが2023年1月から3ヶ月間、奈良医大への国内留学の機会を与えて頂いたので御報告させて頂きます。
田中康仁教授の率いる奈良医大は足外科の聖地と謳われ、全国各地から患者さんが集まり、また国内外から多数の留学生が訪れます。私がいた3ヶ月間は国内では和歌山と山梨から、海外ではタイ、マレーシア、中国と私を含め計6人の留学生がいました。これだけの人数がいると手術見学の視野が狭い場面もありましたが、教授をはじめ、スタッフの谷口晃先生、黒川紘章先生が自らのお考えを元に各症例に対し詳しく説明をして下さいました。また、先に9ヶ月間研修をしていた2人の国内留学生や足グループ大学院生の先生からも多くのことを教わり、同世代の先生と横のつながりを作ることができたため非常に良かったと思っています。海外留学生との交流で日常的に英語を使えたことも貴重な体験でした。
1週間の流れは、月曜は教授外来見学と手術、火曜は抄読会、総回診、外来見学、症例検討会、水曜は外勤、木曜は手術、金曜は病棟管理等でした。基本的に足外科の手術はほぼ全例において自科での伝達麻酔(坐骨神経+伏在神経ブロック)のみで行われており、ブロックに関してはたくさんの機会を与えて頂き自信が持てました。人工距骨の併用を中心とした人工足関節置換術、外反母趾に対する近位部骨切り術(ラピダス法)、足関節靱帯損傷に対するエコーガイド下手術など新しい手術を経験してきました。
奈良医大での研修を通し、考え方や治療についてはもちろんですが、足外科のトップランナーとして常に新たなエビデンスを作っていくという姿勢に大変刺激を受けました。現在、足外科においてはエコーガイドでの診断、手術がトレンドであり、エコー下での腱靱帯付着部の骨性メルクマールなど今後の自分の解剖研究のターゲットについて視界が広がったように思います。今回、このような貴重な機会を与えて頂いた土井田教授、菅原先生をはじめ留守中にご迷惑をかけた医局の先生方に深く感謝を申し上げます。これからが勉強の毎日となりますが、岩手に蒔かれた足外科の根を絶やさぬよう下肢外科医として貢献できればと思いますので今後ともご指導ご鞭撻のほど何卒よろしくお願申し上げます。
岩手医科大学医学部
整形外科学講座 助教
2022年4月から6月までがん研有明病院で研修する機会を頂きました。大変貴重な機会を与えていただきましたので、報告させていただきます。
がん研有明病院は東京の江東区にあり、東京ビックサイトやお台場などの近くにあります。病床数は700床、手術室は20室、年間の手術件数は7,600件程度で骨軟部腫瘍以外のがん治療においても日本トップクラスの病院です。目的は最先端の骨軟部腫瘍の治療、診断含めた診療について学ぶことです。骨軟部の悪性腫瘍は希少がんに該当する腫瘍であり、大学レベルの病院でしか診断、治療を含めた集学的治療は困難です。がん研有明病院は日本で一番の骨軟部腫瘍の治療実績を持ち、世界的にも最先端の治療を誇っている病院です。手術件数も悪性腫瘍だけで年間271件も行っています。また手術のみでなく、化学療法カンファランス、CPC、サルコーマカンファレンスなども行われており、他科とのがん治療の最先端を学ぶことができます。3ヶ月間という短い期間でしたが、岩手で年に数回あるかどうかという手術が毎週のように行われ、非常に充実した経験を積むことが出来ました。特に私が勉強になったのはがん研有明病院が世界に誇る切除縁評価(切除範囲の指標)についてです。骨軟部腫瘍の治療法の基本は原発の腫瘍を手術によって安全な切除縁を確保して、病変を完全にコントロールすることです。それには安全な切除縁での腫瘍切除手術が最も重要です。安全な切除縁とは、その部位で切除すれば通常再発が生じない切除範囲であり、がん研有明病院が長年における研究の蓄積で徐々に解明されてきた切除範囲の指標のことです。安全な切除縁が確保できれば95%の患者さんで患肢の温存が可能といわれています。この切除縁評価は手術した検体をホルマリンで固定し、固定後に切除縁が適切であったかどうかを評価します。私も実際に自分が執刀した症例を先生方と一緒に評価させていただく機会を多く与えてもらいました。その他にも非常に御高名な松本誠一先生よりご多忙な中わざわざお時間を割いていただき、骨軟部領域の講義もしていただきました。
がん研有明病院には全国から研修のために若い医師がたくさん集まってきており、日々自分の知識や腕を磨き、切磋琢磨していました。整形外科に限らず他の科でも若く優秀な医師たちが活躍しており、非常に刺激を受けました。骨軟部診療に興味がある方であれば是非研修の機会をいただき、がん研有明病院での研修を勧めたいと思います。骨軟部診療以外にも医局とは関係ない病院での研修は自分の視野を広げるという意味でも非常に価値があると思います。若手の先生方も機会があれば是非積極的に研修をしてほしいと思います。
がん研有明病院での国内留学生活は短期間でしたが非常に充実した3か月となりました。貴重な機会を与えてくださった土井田稔教授、不在中の大学業務を対応していただきました腫瘍グループの三又義訓先生、医局の先生方に御礼申し上げます。そして松本誠一先生、整形外科部長の阿江啓介先生をはじめとするがん研有明整形外科の先生方にもこの場を借りて深く感謝致します。今回経験させていただいたことを生かし、岩手県の骨軟部診療の発展のため頑張っていく所存です。今後とも御指導・御鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます。
岩手医科大学医学部
整形外科学講座 助教
私は、2020年10月から2022年2月まで米国ジョージア州アトランタにあります、Emory大学に留学に行って参りました。
時はコロナ禍真っ只中であり、苦労も多かったのですが、大変貴重な経験を積むことが出来ましたので報告させていただきます。
南部の州であるジョージア。ミシシッピ川より東では最も陸地面積が広い州であり、都市部においても大変緑豊かな州です。
そんなジョージア州の州都がアトランタになりますが、アトランタと聞くと、96年に夏季オリンピックが開催された都市として有名であり、近年は南部でも特にHotな都市として栄え、現在もさらに人口が増加しています。多くの企業が本社を置いており、中でも有名なのはコカ・コーラ社、CNN、アフラックなどです。郊外のハーツフィールド・ジャクソン アトランタ国際空港はデルタ航空の本拠地であり、日本からは羽田からの直通便が就航しており大変便利です。
また、留学中にはMLBのアトランタ ブレーブスの26年ぶりのワールドシリーズ制覇も見ることができました!!
Emory大学は1836年創立で、大変伝統のある米国南部の有名私立大学です。コロナ禍においては報道で大変多く目にするようになったCDC(米国疾病対策センター)がキャンパスの隣にあり、感染症研究や、公衆衛生研究においても有名な大学です。整形外科、脊椎領域においてはBMP研究で世界的にご高名なDr Bodenを主任教授として、骨癒合関連、椎間板再生医療関連の研究に多くの研究者が取り組んでいます。臨床においても、我が国の多くの脊椎外科医も知っているDr Heller、Dr Rhee、Dr Yoonなどが所属されています。
私は整形外科基礎部門への留学であり、基礎のトップはORSでも重責を担っておられるPh.D.のDr Drissiが率いておられました。
当時すでに渡米しており、私と短い期間留学を共にした、和歌山県立医科大学の村上公英先生がin vitroでの研究にて、iPS細胞に対して4つの成長因子(LDN、AGN、FGF、およびCHIR)を用い脊索様細胞を誘導。さらにそれに対してPDGF(血小板成長因子)を用いて髄核細胞への分化を誘導するという仕事を行っておりました。PDGFに関しては、Dr Drissiのライフワークでもあります。私は彼と協力し、さらにそれをin vitroへ移行するという仕事を行いました。当ラボには多くの研究者はいましたが、外科医は私達だけであり、ここは腕の見せ所とばかりに、ラット腰椎に対して経腹膜アプローチにて進入し、椎間板前方から穿刺し、変性モデルなどを作製していました。当ラボでは脊椎に関しては尾椎で実験を行っており、腰椎のノウハウがなかったため、腰椎へのアプローチ、そして解析の流れを作れたのは、ひとつDr Drissiに貢献できたのではと思っています。
写真3 MSK institute
2021年9月開院 ここに最初に足を踏み入れた日本人になりました
Dr Drissiと新病院内の実験用手術室にて
臨床においては、難治症例カンファレンスに定期的に参加し前述の先生方から多くの事を学びました。日本では使用できないデバイスを使った症例も多く提示され、非常に興味深かったです。カンファレンスは教授陣が若いレジデント達に口頭試問を行う形式で進められ、我々に対しても、日本ではどう対応する?などと聞かれ、ひどい英語で回答していました。
また、ロボティック手術のトレーニングにも参加しました。
我々岩手医大はハイブリット手術室を有しており、今後導入を図る上でも貴重な経験になったと思っています。
写真4 実験用ラットの手術風景
(アトランタ退役軍人病院、VA Medical Centerにて
和歌山県立医大整形外科の村田鎮優先生、実験動物の世話を支援してくれていたコリーンさんと)
写真5 症例検討会の様子
Heller教授や若いレジデント達と
写真6 ロボット手術のトレーニングにて
留学中、多くの研究者、同世代の整形外科医、脊椎外科医の友人ができました。1年半前には想像もできませんでしたが、何より、世界の志高い若者たちに出会えたことが一番の財産になったと思っています。本当に刺激になりました。
留学前はコロナ禍ということもあり、本当に行っていいものか出発直前まで悩みました。しかし、勇気を持って一歩を踏み出したことで、脊椎外科医としてかけがえのない貴重な経験を積むことが出来ました。
当講座では、今後も若い先生方の積極的な海外留学を推進しています。母国での日常診療を離れ、異国の地で多様な文化に触れ、何より情熱あふれる若い研究者や医師との交流を図ることで見えてくる世界が必ずあります。
今後、海外留学を希望する若い先生方の支援をしながら、当講座のグローバル化に努めていきたいと考えています。一緒に岩手医大整形外科を盛り上げていきましょう!!
岩手医科大学医学部
整形外科学講座 助教
令和2年2月の一ヶ月間、新潟県立リウマチセンターにて研修をする機会をいただきましたので報告致します。
新潟県立リウマチセンターは、国内唯一の公立リウマチ専門病院でもとは結核専門病院であった村上市の県立瀬波病院が当時の新潟大学整形外科学講座教授であった田島達也先生の命によりリウマチセンターとして生まれ変わったところに端を発します。開院当初は整形外科医とリハビリテーションスタッフのみで内科疾患に対応することが困難でしたが、内科医の派遣も行われるようになると、整形外科、内科、リハビリテーション科の連携した患者へのチームアプローチが可能となり、その後県内全域に加え、近隣各県のリウマチ診療における中心的役割を果たしてきておりました。2006年からは地理的条件やアクセスの不便さから、新潟市に近い新発田市へ移転し、県立新発田病院に併設する形で診療が行われております。その間、国内外より多数の医師の研修を受け入れており、私と同時期にも浜松医大から先生が留学されておりました。
今回この新潟県立リウマチセンターに研修が決まったのは、神戸大学時代に関節リウマチの研究でご留学された土井田教授が当時新潟の先生とも共同で研究されていた関係で、急遽お話を頂いたという経緯でした。
リウマチセンターでの1週間の流れとしては毎朝内科の先生と病棟回診を行い、その後月曜日は主に病棟回診とその週の手術に対する検討会を行い、火曜日と水曜日は終日手術、木曜日は外傷や局麻の手術の日や、内科の副院長の外来見学、金曜日は院長の外来見学をしていました。
手術は院長が手外科専門ということもあり、手関節、手指の手術も多かったのですが、足趾形成術もほぼ同数行われており、中でもlesser toeに関しては現在でも多く論文に引用さている、羽生先生の関節温存手術が新潟では古くから行われており、母趾は遠位中足骨骨切りかSwanson人工関節置換術を行なっていました。その他リウマチの手術以外にもかかりつけ患者さんの外傷手術なども行なわれておりました。
外来は毎日3~4診で必ず内科と整形外科医両方がしており、例えば内科Dr.が関節の評価が必要と判断した際はそのまま整形外科の診察に入る例や逆に整形外科Dr.が生物学的製剤を導入したい患者はそのまま内科Dr.に全身評価してもらって進めていくというようにリウマチに対するチームアプローチが行われており、またリウマチケア認定看護師が外来診察の終わった患者にフットケアを施す、栄養士が栄養指導を行う、理学療法士作業療法士による関節可動域、筋力、歩行能力の評価というようにまさにトータルマネジメントが行われておりました。
リウマチ診療以外で特徴的だったのがフレイル入院で、フレイルはサルコペニアやロコモティブシンドロームを包括した概念であり、近年整形外科分野のトピックとなっている予防すべき疾患群であり、身体的虚弱の他、心理的虚弱、社会的虚弱を含みます。薬物治療によりリウマチの炎症がコントロールされるようになると、高齢化による種々の合併症が前面に出て、ADLの低下につながりますが、これを防ぐ効果があるのが3泊4日のフレイル入院で、骨粗鬆症や筋力の評価、栄養の評価、また心理面や社会的な状況も入院中に多職種が介入して評価、支援する事で非常に満足度の高い、糖尿病治療でいう教育入院のようなもので、これもまたトータルマネジメントの考えから遂行されていると思われました。
診療以外に、研究・研修の分野では医局からは毎年JCR、ACR、EULARにて発表を行い日本語・英語での論文投稿をしており、また国内外より多数の研修医師を受け入れ、私も一ヶ月の超短期留学でしたが第101号の研修修了認定を頂いて参りました。
2月の新潟は大雪が心配されましたが、暖冬の影響で盛岡からの道中も特に問題なく、また新潟県に新型コロナウィルス感染者が出る前に戻って来れたことも幸運でした。本邦で1999年にMTXが承認され、2000年代に生物学的製剤が導入された事でリウマチ治療はパラダイムシフトが起こり、現在は寛解および少数ですがdrug freeを目指せる病気となりました。一方で内科的合併症は重篤な場合もあるため最近は整形外科医から敬遠されがちです。しかし、関節診療のプロである整形外科医が正しく診断し、適切な薬物治療をして、それでも抑えられない関節炎に対して種々の手術法を選択し関節痛を取り除く事ができるのが整形リウマチ医の醍醐味であると思います。今回このような研修の機会をくださった土井田教授、留守中ご負担をかけた医局の先生方には大変感謝申し上げます。超短期間の研修であり、まだまだ修行が必要ですが、新潟で学んだ事をきっかけに今後も岩手県の医療に貢献できるように精進して参ります。
岩手医科大学医学部
整形外科学講座 助教
2019年7月~12月まで山口大学大学院医学研究科整形外科学にて国内留学をさせて頂きました。目的は、研究です。山口大学整形外科は臨床はもちろんのこと、研究面においても非常に精力的に活動されており基礎研究から臨床研究まで幅広く研究されていました。その中でも有限要素法という基礎研究の手法を学び、岩手に持ち帰ってくることが私の使命でした。
有限要素法とは元々は航空機の設計に使われ始めた解析方法のことで、機械工学の分野において盛んな手法です。設計した物が世の中に出て問題がないかどうかをコンピューター上で解析し安全性を検討することが目的の手法のようです。それがコンピューターの発展の下に分野を広げ、現在では医療においても実際に実行するのが困難なミクロなシミュレーションをすることに一役買っています。従って山口大学大学院創成科学研究科機械工学専攻の方々にも大変お世話になりました。
留学中のライフスタイルは、山口大学整形外科脊椎班のメンバーとして診療に従事させて頂きながら、その一方で工学部に赴き解析を行う、というものでした。普段の診療においては担当する患者さんも当てて頂いたため診察、検査、手術全てに触れることができました。違う医局の医療を間近に触れる事はこのような特別な機会がない限り特に珍しいことで、新鮮な感覚であり診療スキルにおいて学ぶことが非常にたくさんありました。研究に関しては有限要素法の理論やソフトウェアの使い方に関して工学部大学院の学生さんに毎週のように教えてもらいながら理解を深めていきました。有限要素法は知れば知るほど奥が深く、非常に興味深い研究分野であり進捗するほどに困難さと遣り甲斐とを感じました。また月に一度有限要素法の研究に関するミーティングがあり、工学部の学生さんと先生方、高専の先生、医師、理学療法士さん、作業療法士さんで集まる機会がありました。そこでは主に、工学部の学生さんが研究の進捗状況を発表しそれに対してディスカッションする場でしたので、専門性の高い考え方に触れることができ自身の研究に繋げることができた良い時間でした。
臨床、研究に打ち込む日々でしたが、その中でも多くの先生、後輩、メディカルスタッフの方々に恵まれ折に触れて飲み会があったり忘年会にも参加させて頂いたりと多忙にも楽しく充実した半年間を送ることができました。研究に関しては自力で解析・解釈できる位に成長させて頂き、学会・論文で発表できる結果も残すことができました。この国内留学という貴重な体験が私に与えてくれた恩恵は言うまでもなく、かけがえのない素晴らしいものでした。今後も継続して研究し岩手医大整形外科の発展に寄与していく所存とともに、本講座と山口大学との良好な関係も継続していければと思います。お世話になりました先生方に深謝致します、今後とも引き続きご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。
岩手医科大学医学部
整形外科学講座 助教
2018年10月から12月の3か月間、新潟手の外科研究所病院で研修して参りましたのでご報告させて頂きます。新潟手の外科研究所病院は、日本国内の手外科の発展に寄与された故田島達也教授により設立され、年間約3000件もの手外科手術を行っています。国内各地からの研修生を常時2名受け入れており、診療、研究、教育全てに力を入れた病院です。吉津孝衛先生、牧裕先生、坪川直人先生、成澤弘子先生、森谷浩治先生の名だたる5名の手外科専門医と、ローテーター研修医3名(日整会専門医)、計8名の先生方がご勤務されています。著名な先生方が集る手外科の聖地ともいえる病院での研修に最初は緊張しましたが、医局内も手術場も明るい雰囲気で、研修生活にもすぐに慣れました。ローテーター研修医の先生方は私よりも医師年数が1~4年若く、新潟大学と昭和大学から1年~1年半の任期で来られていました。3か月単位での研修生である私は主治医として患者さんの診療にあたることはなく、基本的には手術の助手をして過ごします。毎朝8時15分から術前術後カンファに参加し、9時~19時頃まで手術に入り、後は自由に勉強するなどして過ごしました。予定手術は1日10~15件ありましたが、毎日のように緊急手術も入るため、手術は夜間までかかることも多々ありました。なるべく多くの手術に入るべく、計3部屋の手術室を渡り歩きながら1日の大半を手術室で過ごし、3か月間で220件の手術に入らせて頂きました。鏡視下舟状骨偽関節手術、内反肘の矯正骨切り、外傷性中手骨頭欠損に対する肋軟骨移植、手指再接着、自家神経移植、two-DIOWでのORIF、各種皮弁手術(逆行性指動脈島状皮弁、指交差皮弁、背側中手動脈穿通枝皮弁、鼠径皮弁、腹壁皮弁)等々、勉強になる手術がたくさんありました。神経、血管、腱の縫合といった基本的な手術手技の確認もできました。たまたま同期間の3か月研修生は私1人だけであったため、毎日自由に希望の手術に入ることができました。新潟手の外科研究所病院から車で15分ほどの場所にある新潟リウマチセンターへも行かせて頂き、人工肘関節置換術、部分手関節固定術、Swanson関節形成術なども見学してきました。
12月には1週間のマイクロサージャリー手術技術研修も受けて来ました。マイクロサージャリー研修では、基本手技を吉津先生から教えて頂き、ラットの大腿動脈や頸動脈、しっぽの動脈を用いて血管吻合の練習をしました。皮弁もやってみました。岩手ではスーパーで買った手羽先で練習していましたが、生きたラットではより実戦に近い練習ができました。初日から血管吻合に成功できたので、手羽先での練習も効果的だったことも確認できました。ただ、小動物が苦手な私はラットを籠から出して麻酔剤を腹腔内注射するという操作がどうしても怖くて、最初は籠の中のラットを捕まえるのに40分もかかりました。誰もいない研修室でラットと一緒に悲鳴を上げながらの作業でした。麻酔をかけてしまえば怖さは無くなりますが、麻酔の追加投与を忘れて練習に夢中になっているとラットが突然泣いたり動き出したりすることがあり、その時は心臓が止まりそうになるくらいびっくりさせられました。とはいえ実際心臓が止まってしまうのはラットの方で、ずっと使っていると徐々に弱って死んでしまいました。計3匹使わせて頂きましたが、ラットの命を無駄にはできないので、マイクロサージャリー研修の1週間は朝から深夜に至るまでひたすら血管吻合の練習に励みました。
手外科には1つの疾患でも数多くの術式がありますが、どの先生方も新潟でのやり方を強要はせず、「私らはこうしています」という感じで教えて下さいました。ただし、その術式選択の根拠は奥深く、自分の浅はかさを日々痛感させられました。どの手術でも慣れた術式に固執せず、根拠とポリシーを持って診療することが重要と教わりました。様々な技を身に着け、それを症例に応じて使い分けたり小出しにしたりできるのは手外科の面白さの1つと感じました。実際の手術手技に関しては適確で速く、特にデュピュイトラン拘縮の腱膜切除術での展開の速さは驚愕でした。神経・血管・腱損傷を合併したような開放骨折や不全切断の緊急手術ではまず損傷の種類や程度を把握することから始まりますが、これもまたとにかく速く、同じ術野を見ているのに追いつかないほどでした。手早い診断に加えて方針を立てるのも速く、さらにはその症例の数日、数か月先の状態を予想しながら執刀しておられました。私と同世代のローテーター研修医の先生方のレベルの高さや苦労の多さにも大変刺激を受けました。
土井田教授をはじめ、医局の先生方や出張先の二戸病院や栃内病院の先生方には留守の間、大変ご迷惑をおかけしました。特に光太朗先生には大変なご負担をおかけしました。貴重な経験をさせて頂き、誠にありがとうございました。今回の研修での成果を岩手で発揮し、恩返しできるよう精進して参ります。
岩手医科大学医学部
整形外科学講座 講師
2018年7月から9月までの3か月間、神奈川県横須賀市にある横須賀市立市民病院関節外科に国内留学をさせていただきました。大変貴重な機会を与えていただきましたので、報告をさせていただきます。
横須賀市は神奈川県南東部の三浦半島に位置する人口40万人程の都市です。歴史的な出来事として、ペリーの黒船が来航して横須賀市の久里浜に上陸したことで有名です。また軍港都市として栄え、米国海軍施設や海上自衛隊、陸上自衛隊などの基地が置かれており、自衛隊関係の教育施設である防衛大学もあります。横須賀市立市民病院は、東京駅から電車で1時間程かけて最寄り駅の横須賀中央駅や逗子駅まで行き、そこからさらに35分から40分程バスに乗ってようやく病院に到着します。決してアクセスの良い場所ではありませんが、北海道から沖縄まで、全国から多くの患者さんが来院します。さらに手術見学目的に全国から多くの整形外科医の先生方が来られます。その理由は日本Knee Osteotomyフォーラムの会長であり、日本の膝周囲骨切り術の第一人者である、竹内良平先生がいらっしゃるからです。私は竹内先生から最新の膝周囲骨切り術を学ぶことを目的に、横須賀市立市民病院に国内留学という形で3か月間研修をさせていただきました。
現在、変形性膝関節症に対する最も一般的な外科治療である人工膝関節置換術(TKA)は増加傾向にあり、国内で年間10万件程度施行されております。一方、高位脛骨骨切り術(HTO)を中心とした膝周囲骨切り術は人工関節の性能向上に伴って影を潜めていた時代もあり、国内で年間1000例に満たない時期もありましたが、現在は年間8,000~9,000件程度の膝周囲骨切り術が行われるようになってきました。これは内固定材の進歩や手術テクニックおよびリハビリテーション技術の向上などにより入院期間が大幅に短縮することが可能となり、また関節温存の考えが見直されてきたことが理由と思われます。横須賀市立市民病院では年間300件近い膝周囲骨切り術が行われており、日本で最も膝周囲骨切り術が行われている病院になります。
横須賀市立市民病院関節外科では月曜日から金曜日まで毎朝6:55から病棟回診を行います。常に80人近い患者さんが入院しており、朝のうちに回診や処置、指示出しを終わらせておきます。その後、外来業務や手術となりますが、月曜日、水曜日、木曜日は外来日で、火曜日と金曜日が手術日でした。また火曜日は朝8:05からリハビリカンファランス、金曜日は朝8:00から手術カンファランスがあり、術前後の症例患者さんについてのディスカッションが行われておりました。朝の仕事開始が早い分、手術日でも定時終了を目指し、17:00には業務を終了させることを目標に仕事をされておりました。私は研修生の身分であるため、平日は朝5時に起床し、6時すぎには病院に到着して準備をし、常勤の先生方が到着するのを待つといった感じで毎日を過ごしていました。学生時代はもちろん、社会人になってからもこんなに規則正しい朝型の生活はしたことがなかったと思います。
横須賀市立市民病院での手術ですが、手術日には3列で同時に手術が開始されます。1日で膝周囲骨切り術が4~5件、TKAが1~2件、抜釘が2~3件位のペースで行われておりました。また両側同時HTOや大腿骨・脛骨の同時骨切り術(DLO)といった、通常の施設ではなかなか行うことが困難な手術もかなりの症例数が行われておりました。研修中、私も助手として参加させてもらっておりましたが、ほとんどの手術で第一助手として参加させていただきましたので、術中に手術のテクニックや手術器具の使い方、さらに教科書には書いていないようなコツまで、竹内先生をはじめ常勤の先生方からたくさんのことを教えてもらうことができました。また手洗い方法、手術用ガウンや手袋の装着、手術部位の消毒、圧巾のかけ方、手術器具の使い方、清潔不潔操作など、手術を行う外科医として当然習得していなければならない基本的な事柄ではありますが、SSI予防の観点から最新のエビデンスに基づいて徹底して行われており、改めてその重要性を学ばせていただきました。
国内留学が終了し現在は今までと同じように大学での日常業務をこなしておりますが、以前と比べ大学での骨切り術症例が増加しております。以前はHTO症例の多くがopen wedge HTOでしたが、現在は変形が強く矯正角度が大きな症例にも対応が可能なhybrid closed wedge HTOを中心に手術を行っております。この手術方法は従来のclosed wedge HTOを改良した手術方法で、国内留学先の竹内先生が考案、報告されております。専用のプレートや手術器具も開発されており、国内でもhybrid closed wedge HTOの手術件数が増えてきております。手術操作が多く、手術手技も複雑でテクニカルな手術方法ですが、open wedge HTOよりも適応範囲が広く、また従来のclosed wedge HTOよりもメリットの多い手術方法です。私がもっとも多く助手に入らせてもらった手術であり、今後も岩手でhybrid closed wedge HTOを含め、膝周囲骨切り術を広めていきたいと考えております。
横須賀市立市民病院での国内留学生活は短期間でしたが非常に充実した3か月となりました。貴重な機会を与えてくださった土井田稔教授、不在中の大学業務を対応していただきました医局長の田島吾郎先生、関節グループの菅原敦先生、及川伸也先生、千葉佑介先生、また大学医局の先生方に御礼申し上げます。そして竹内良平先生をはじめとする横須賀市立市民病院関節外科の先生方にもこの場を借りて深く感謝致します。今回経験させていただいたことを生かし、岩手県の整形外科の発展のため、また後進育成のために頑張っていく所存です。今後とも御指導・御鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます。
岩手医科大学医学部
整形外科学講座 特任講師
2016年12月から2017年12月まで米国メイヨークリニック(Tendon and Soft Tissue Biology Laboratory, Peter C Amadio先生) へ留学して参りました。
私が所属したラボは、数多くの日本人の先生方が在籍していた伝統あるラボ(もともとは、Biomechanics Labo)で、Kai-Nan An先生が指揮をとっていた頃は、メイヨークリニックの整形外科でも数多くの業績を築き上げた名門だったそうです。現在、日本の整形外科を牽引されている著名な先生方を多数輩出しております。
メイヨークリニックは、ミネソタ州ロチェスターという人口10万人くらいの小さな町にある私立病院ですが、全米の病院ランクでは毎年のようにNo.1を獲得している偉大な病院です。全患者の1割が海外からの患者さんであり、街中や院内では様々な民族衣装を着た人々を目にすることが珍しくありませんでした。自分と同じような立場で海外やアメリカ国内から来たResearch fellowは非常に多く、M.DだけでなくPh.Dの先生も沢山働いており、日本人でラボを持っているとても優秀な先生もいらっしゃいました。
私が与えられた研究テーマは、細胞老化と手根管症候群との関わりについて分子生物学的手法により解析することでした。バイオメカニクスに関する実験をするものだと思っていたため意表をつかれました。人によっては何人かで共同で動物やカダバーを用いた実験を行っていましたが、私の場合は、基本的に一人で実験計画を立てて実験をし、結果をオーベンに見せてアドバイスをもらうという生活を送っていました。そのため、分からないことがあっても誰にも相談できず、困惑する日々の連続でした。初めの数か月間は、実験プロトコールの作成に時間を割き、春になりやっと実験の許可が出て実験を開始することになりましたが、検体不足により思ったように実験が進まず、軌道に乗り始めたころには帰国する2か月前になっておりかなり焦りました。予想はしていましたが、基礎研究で成果を得るにはやはり1年では足りないようです。実際、何の成果も得られず帰国せざるを得なかった仲間もおり、基礎研究を行うのであれば2年くらい時間の余裕を持っていた方が良い仕事ができるかもしれません。
毎週水曜日には全員参加のラボミーティングがあり、研究や論文の進捗状況の確認が行われました。実験の成果や失敗を発表し、それについてディスカッションを行い、アイディアを出し合ったりする有意義な場ではありますが、毎週報告するネタがある訳でもなく、1-2週間何も実験をしていないときには、ただただ時間が過ぎるのを待っていました。一大イベントである水曜日のラボミーティングが終わるとその週が終わったような気になるほど毎回、緊張するミーティングでした。
メイヨークリニックでは、毎日どこかでカンファランスやレクチャーが行われており、私の場合は、月曜日は、基礎研究に関するレクチャー、木曜日は、骨軟部腫瘍カンファ、金曜日は手外科カンファに毎週参加しました。カンファでは、Resident(日本でいう初期研修医)やFellow(専門医を目指す後期研修医)が症例を発表し、それに対して上級医がいろいろと質問をするという日本の症例検討会とほぼ同じスタイルで行われていました。症例検討発表の後には、15分から30分のショートレクチャーがあり、それがカンファの醍醐味でした。
ラボでは、誰の発案かは分かりませんが、ときどきイベントが開催されました。Pubへ飲みに行ったり、Horse racingに行ったり、New Year’s DayやThanks Giving Dayには、Dr. Zhao主催のホームパーティーに招待して頂いたりとアメリカの文化や日常生活を存分に楽しむことができました。その他にも、メイヨーで働く日本人の方々とも仲良くなり、ホームパーティー、BBQ、旅行などさまざまな思い出ができました。
留学が決まるまでの道のりは決して容易ではなく、さまざまな困難が立ちはだかりました。もっとも苦労したのが英語で、現在、アメリカに留学するには英会話のスキルは必須です。これからアメリカ留学を目指す人は、英語論文の業績だけでなく英会話スキルの両立が要求されますので、留学をする数年前から準備をした方が良さそうです。近年、日本人の若手医師の間では、海外留学に対する魅力が薄れ、留学を望む人が減ってきているとのことですが、留学によって失うものは貯金くらいで、得られるものはpricelessだと思います。
当教室では国内留学だけでなく海外留学も積極的に推奨しております。日本では体験できない海外の文化、医療、多様性を肌で感じることができ、グローバル社会において世界への視野が拡大するだけでなく、医師としても成長できるものと信じています。医局の若い先生方には、国際人としてどんどんチャレンジしていくことを期待しております。
岩手医科大学医学部
整形外科学講座 助教
2015年1月から3月までがん研有明病院で研修する機会を頂きました。目的は骨軟部腫瘍の治療の知識を得ることです。骨軟部の悪性腫瘍は若年者に発症する疾患も多く、四肢の機能を失う例も多いことから、適切に治療することが社会的に重要な意味を持ちます。しかし、発症頻度が稀であり、岩手医大で扱う症例数はそれほど多くありません。がん研有明病院は日本で一番の骨軟部腫瘍の治療実績を持ち、世界的にも最先端の治療を誇っている病院です。3ヶ月間という短い期間でしたが、岩手で年に数回あるかどうかという手術が毎週のように行われ、非常に充実した経験を積むことが出来ました。カンファレンスも頻回に行われ、勉強になりました。がん研有明病院には全国から研修のために若い医師が集まってきます。整形外科に限らず他の科でも若く優秀な医師たちが活躍しており、非常に刺激を受けました。また、がん研有明病院に限らず、東京の各大学の高名な先生方と知り合うことが出来たことも非常に大きな収穫の一つです。今まで学会で遠くから眺めていた先生方との距離が一気に近くなったことを、今後の活動に活かしていきたいと思っています。私は学生時代から岩手から離れることなく過ごしてきましたので、初めて外に出ることで様々な新しい視点を得たように感じています。岩手医大の良い点を改めて見直す機会にもなりました。私自身は様々な事情から短期間の研修となりましたが、また機会があればと思っています。若い先生方にも、整形外科研修、学位取得、専門医取得の次のステップとして一度外の空気を感じて欲しいと思います。
岩手医科大学医学部
整形外科学講座 講師
私は2014年10月から12月まで3か月間、奈良県立医科大学整形外科学講座へ国内留学して参りました。奈良県立医大は足外科が歴史的に盛んであり、関西地域からはもちろんのこと、遠くは東北や九州からも症例が集まるところです。
岩手にはこれまで足専門医がおらず、各ドクターが独自に手術を行うか、保存療法のみで治療をしてきた状況であり、手術希望の際は他地域に患者さんが赴いて治療を受けることが多いと聞いておりました。岩手県は非常に広く、沿岸の住民は他地域に行くとなってもまず盛岡に2時間かけて、そこから新幹線で・・・という感じで非常に他地域に行くのが困難な地理条件のため、患者さんの負担を考えると岩手で専門的治療を行うのが良いのは言うまでもありません。このような地域事情、医局の事情のため、この度私が行くこととなりました。
奈良県立医大は橿原(かしはら)市という鹿と大仏で有名な奈良市から南に約15kmほど離れた場所にあり、古くは平城京ができる前の藤原京(西暦694~710年)があった場所です。大和三山(畝傍山、耳成山、天香久山)に囲まれた藤原京の境内に大学病院は位置しております。
大学には田中康仁主任教授、熊井司教授、谷口晃講師をはじめ大学院生の先生方、留学生の先生方がおり一番の大所帯です。大学での1週間の流れは月曜日;手術、火曜日;検討会、総回診、水曜日;外来見学、木曜日;手術、金曜日;外勤でした。週2回の手術日ですが件数は1日3~4件あり、約6~7か月の手術順番待ちという感じであるそうです。3か月間で60件ほどの手術を見学でき、主に外反母趾、人工足関節、鏡視下手術(固定術、ATFL縫合など)などを見学してきました。
週末には比較的多くのお休みを頂けましたので、普段はなかなか行きずらい名所を散策に行きました。法隆寺、飛鳥寺、高野山金剛峯寺など奈良県内はもちろん、北は京都の天橋立、南は和歌山の潮岬、東は三重の伊勢神宮、西は香川の讃岐うどん。自家用車を持って行って正解でした。
1月から岩手医大での勤務に戻り、県内の各先生方から足の紹介頂き始めております。まだまだ素人同然の状態で教科書片手に仕事をしている状態ですが、各先生方の期待に応えられるよう勉強を重ねながら精進して参りたいと思います。特に、私自身以前から関節鏡手術を多く手掛けてきたこともあり、足関節鏡下手術は件数をどんどん増やして行きたいと思っております。スポーツ外傷(前距腓靱帯損傷、有痛性三角骨などの足関節後方インピンジメント症候群、footballer’s ankleなどの足関節前方インピンジメント症候群、軟骨損傷など)はお困りでしたらぜひご紹介ください。
岩手医科大学医学部
整形外科学講座 特任准教授
2007年から2008年まで約1年間、米国ペンシルバニア州ピッツバーグ大学に留学する機会を得ました。目的はピッツバーグ大学整形外科主任教授のDr. Freddie Fuから、スポーツ医学、特に膝関節靭帯再建術の臨床を学び、その基礎研究を行う事です。
ピッツバーグ大学整形外科は、臨床部門はClinical Faculty (助教以上) 50名、Clinical Fellow 20名、Resident45名と日本とは比較にならない規模の診療科です。臨床部門は10程の専門分野に分かれていますが、さらに整形外科の基礎研究部門として10以上の研究室を有しており、研究部門のFacultyや研究者、テクニシャン、我々のような留学生を入れると、一体何人くらいの人間が大学で整形外科に関わって仕事をしているか見当もつきません。
私はResearch Fellowという立場でOrthopaedic Engineering and Sports Medicine Laboratoryというバイオメカニクスの研究室に所属しました。研究室の名前だけは立派で、6DOFロボットこそありましたが、実際は工学部の地下室で、研究用のキャダバー膝や肩、そして胴体などが冷凍庫にゴロゴロしていました。環境はかなり悪い研究室でしたが、皆、アグレッシブに日々研究に打ち込んでいました。
我々留学生のdutyは、早朝6時からのスポーツ医学部門のカンファランス、招待講演などを行う整形外科全体のグランドラウンド、そしてDr. Fu自らACLについて熱く語るACLミーティングと所属研究室のミーティング、計4つのミーティングへの参加と、週一回の手術への参加でした。日本にいた時と違い、直接、患者さんを診療する事はなかったので、仕事以外の時間を如何に使うかという事が問題になります。
私は単身赴任でしたので、研究以外、特に夜と週末はやることがありません。整形外科医ですので、やることがない時はとりあえず体を動かしました。毎朝アパートの周りをジョギングし、近所の怪しげなジムに通い、大学職員のスカッシュサークルやDr. Fu自らオーナーを務めるセミプロ自転車チーム「チームFreddie Fu」に入部し、現地のマラソン大会や自転車大会にも出場して、寂しさを紛らわすようにアグレッシブに運動していました。おかげで滞在中、体調は抜群に良好で、日本にいたときよりも遥かに健康的な生活を送っていました。
ピッツバーグでの留学生活は短い期間でしたが、本当に充実した時間でした。論文を通じてしか知らなかった様々な研究や手術が、実際にどのように行われているのかを目の当たりにし、それに参加することで、日本に帰ってから自信を持ち、積極的に仕事に打ち込めるようになったと思っています。勿論、楽しい事ばかりではなく、様々なピンチや辛い事もありましたが、他大学から来た日本人整形外科医や外国人の友人に助けられ、研究内容や仕事仲間にも恵まれ、幾つかの論文も書かせていただきました。
海外留学は環境を変えることで自分を変え、違う環境に適応させることで自分を成長させる絶好の機会です。土井田教授も若い医局員に積極的に留学する機会を与えるとお話されていました。医学生・研修医の皆さん、是非、岩手医大整形外科入局し、共に世界に目を向けた整形外科医を目指そうではありませんか。